深夜番組と酒で雑記
唐突に、信長も秀吉も良いが
好きなのは家康であると。
最後に勝ったのが好きというのは、それもある。
織田がつき 羽柴がこねし 天下もち
座りしままに 食うは徳川
という短歌があるが、これはこれで良いと思う(笑)
家康が好きな理由には、天下への想いが誰よりも強かったと思えるから。
関東移封。
信雄に通じた仕掛けであり、どう転んでも決して+要素に働かない策。
これを受け入れた家康。
領土が100万石分増えるからそれはそれで良いという問題では無いかと。
だが、ここに家康の独自の考え方があったのではと。
家康が築いた五ヶ国の出で立ちが。
やっとの思いで統一した三河。
旧今川の遺領にして、武田との攻防の末の激戦地の遠江、駿河。
信長相手に人心を、死後に策を弄して得た武田遺領。
これらの旧領土を見捨てるのではなく、仕置による無理矢理な出張を押し付けられたという体。
移封を断ることに関しては、前例に信雄があり結末も分かっている。
家康にとっては世評を損なうことなく新領土へ行ける状況ではある。
そして、秀次事件。
この事件で旧領の現領主に恩を売ることができた。
その後の関ケ原は
朝鮮戦役で経験を積んだ相手なら難しかったであろうが
戦国で終盤まで生き残った武田、北条、さらには織田の勢力圏を持って戦う家康は優位であったであろう。
大阪の役。
これこそが一番好きな理由。
判官贔屓という言葉もあるが、一度は栄光を掴みかけた人ならいざ知らず
秀頼公にはさぞ無縁な言葉であっただろう。
家光の「生まれながらの将軍云々」も世が世なら野党&世論からバッシングであっただろうが
16~7世紀くらいはそのへんはビッグダディの力量でなんとかなるものだったのだろう。
話を戻し、大坂の陣。
最強の爺ちゃんが最強の布陣をもって、派遣ばかりのトーシロ若手を全力で潰しにかかる事案。
一見残酷ショーではあるが、ここまで持ってくるのに費やした時間を考えると恐ろしいのは家康。
結果として現在の授業では1867年まで徳川の世で、それ以降は明治という教育が施されるといった具合である。
そして、明治以降は「何故か」小学校~高等学校では駆け足気味で授業終了なのである。
オイラはよく分からん古墳とか仏教とかお隣の帝国との貿易よりも
もっと最近なことを知っといた方が良いかと思うけど……
変な話、戦後70年を謳う今、戦後60年頃に既に夏休みの宿題でなかなか戦争の話を聞けなかった自分にとって
感情論ありきとしても生の声を聞けるのは歴史価値が非常にあるものだと。
何にしてもそうである。
王と長嶋の凄さは当時のV9時代のファンにしか分からないところはあると思うし
全盛の韮崎は当時のオオクワフリークにしか分からない。
歴史は趣味や好きでやってる人に比べれば、所詮は下手の横好きに過ぎないが
考えれば考えるほどに、では自分は今何をやってるかという気分にさせられる。
甲子園で清宮・オコエフィーバーに浮かれてみるのも一興、
オオクワ仙人の虫で一雑誌の頂点を目指すのも一興。
最後に再び話を戻します。
家康は大名として良い目線があったと思う。
名君にとって難しいことは次の世代にバトンタッチすること。
自身が強くなればなるほどに、次世代に求められる要求が上がり
必然的に後継者には自身の引退後に競合相手に張り合える強さが要求される。
このことを踏まえ、260余年の長期政権の礎を築いた家康は好きになれる歴史の人物である。
好きなのは家康であると。
最後に勝ったのが好きというのは、それもある。
織田がつき 羽柴がこねし 天下もち
座りしままに 食うは徳川
という短歌があるが、これはこれで良いと思う(笑)
家康が好きな理由には、天下への想いが誰よりも強かったと思えるから。
関東移封。
信雄に通じた仕掛けであり、どう転んでも決して+要素に働かない策。
これを受け入れた家康。
領土が100万石分増えるからそれはそれで良いという問題では無いかと。
だが、ここに家康の独自の考え方があったのではと。
家康が築いた五ヶ国の出で立ちが。
やっとの思いで統一した三河。
旧今川の遺領にして、武田との攻防の末の激戦地の遠江、駿河。
信長相手に人心を、死後に策を弄して得た武田遺領。
これらの旧領土を見捨てるのではなく、仕置による無理矢理な出張を押し付けられたという体。
移封を断ることに関しては、前例に信雄があり結末も分かっている。
家康にとっては世評を損なうことなく新領土へ行ける状況ではある。
そして、秀次事件。
この事件で旧領の現領主に恩を売ることができた。
その後の関ケ原は
朝鮮戦役で経験を積んだ相手なら難しかったであろうが
戦国で終盤まで生き残った武田、北条、さらには織田の勢力圏を持って戦う家康は優位であったであろう。
大阪の役。
これこそが一番好きな理由。
判官贔屓という言葉もあるが、一度は栄光を掴みかけた人ならいざ知らず
秀頼公にはさぞ無縁な言葉であっただろう。
家光の「生まれながらの将軍云々」も世が世なら野党&世論からバッシングであっただろうが
16~7世紀くらいはそのへんはビッグダディの力量でなんとかなるものだったのだろう。
話を戻し、大坂の陣。
最強の爺ちゃんが最強の布陣をもって、派遣ばかりのトーシロ若手を全力で潰しにかかる事案。
一見残酷ショーではあるが、ここまで持ってくるのに費やした時間を考えると恐ろしいのは家康。
結果として現在の授業では1867年まで徳川の世で、それ以降は明治という教育が施されるといった具合である。
そして、明治以降は「何故か」小学校~高等学校では駆け足気味で授業終了なのである。
オイラはよく分からん古墳とか仏教とかお隣の帝国との貿易よりも
もっと最近なことを知っといた方が良いかと思うけど……
変な話、戦後70年を謳う今、戦後60年頃に既に夏休みの宿題でなかなか戦争の話を聞けなかった自分にとって
感情論ありきとしても生の声を聞けるのは歴史価値が非常にあるものだと。
何にしてもそうである。
王と長嶋の凄さは当時のV9時代のファンにしか分からないところはあると思うし
全盛の韮崎は当時のオオクワフリークにしか分からない。
歴史は趣味や好きでやってる人に比べれば、所詮は下手の横好きに過ぎないが
考えれば考えるほどに、では自分は今何をやってるかという気分にさせられる。
甲子園で清宮・オコエフィーバーに浮かれてみるのも一興、
オオクワ仙人の虫で一雑誌の頂点を目指すのも一興。
最後に再び話を戻します。
家康は大名として良い目線があったと思う。
名君にとって難しいことは次の世代にバトンタッチすること。
自身が強くなればなるほどに、次世代に求められる要求が上がり
必然的に後継者には自身の引退後に競合相手に張り合える強さが要求される。
このことを踏まえ、260余年の長期政権の礎を築いた家康は好きになれる歴史の人物である。
スポンサーサイト